泣いてしまうほどのやるせなさ、心が痛むほどの怒り。それを「善悪じゃない」と言われたら、あなたはどう思いますか?
本当は誰よりも人を想っているからこそ、あなたの心が揺れるのです。
この世界の「やるせなさ」と5次元の「非ジャッジ」の間にある、大切な真実を一緒に見ていきましょう。
善悪の判断に揺れるあなたへ:「それ、おかしくない?」と思って当然です
もしあなたが、誰かの行動に対して「どう考えてもそれは良くない」と感じたとしたら、それはあなたの中にまっすぐな愛があるからです。
例えば、未成年の女の子がタバコやお酒に手を出している。しかもそれを止めようとしない親がいる。
「いや、さすがに放っておけない」そう思うのは、自然な反応です。
5次元意識を学びはじめると、「ジャッジしない」「あなたはあなた、私は私」という言葉をよく耳にするかもしれません。
でも、それを表面的に受け取ると、「何をしても口出ししちゃいけないの?」「それって無責任では…?」という疑問や苦しみがわいてきます。
その疑問、あって当然です。
むしろそこをすっ飛ばして「全部愛で見よう」としてしまうと、逆に心が壊れます。
「善悪がない」とは、“すべてを肯定する”ことではありません
5次元意識における「善悪がない」とは、「なにをしてもいい」という免罪符ではありません。
それは、すべての出来事の裏に魂の成長や学びのシナリオがあるという前提からくる言葉です。
善悪の判断は、3次元の意識においては非常に重要な羅針盤です。
しかし5次元では、その判断のエネルギー的な周波数(=波動)が変化します。
- 善悪の枠組みではなく、波動の調和か不調和かで物事を見ます
- 罪や罰ではなく、体験としての“学び”があるかどうかに焦点を当てます
つまり、「これは“悪”だから排除する」のではなく、
「この出来事は、何を伝えようとしているのか?」という見方にシフトしていくのです。
感情を否定せずに「非ジャッジ」へ進むには
5次元意識といっても、突然すべてを「ジャッジせずに受け入れる」なんて、ほぼ無理です。
むしろ最初は、怒っていいし、泣いていいのです。
本当の非ジャッジとは、感情を押し殺すことではありません。
感情を味わいきった先に、少しずつ“選ばない自由”が生まれることを指しています。
あなたが本気で泣いたり怒ったりしているその瞬間、魂は震えています。
それは「誰かのために生きたい」と願っている証です。
そこを通過せずに、“悟ったフリ”だけで振る舞うと、逆にエネルギーは歪んでしまいます。
本当の愛は、痛みを感じられる強さと一緒に育ちます。
「あの人を変えたい」と思ってしまうあなたへ
自分にとって大切な人が、どんどん“ズレて”いく感覚。
大丈夫?って言っても、軽く笑って流されてしまう。そのたびに、心が削れていくような思いになりますよね。
でも、ここで大切なのはこういう視点です。
- あなたの愛は、すでに届いています
- ただし、相手がそれを「今、受け取る」とは限らない
5次元意識では、「相手の自由意志」への敬意が、とても大きな意味を持ちます。
その人が今どんな選択をしていても、魂はその経験を通して何かを得ようとしています。
たとえその選択が“遠回り”に見えても、それすらも一つの旅です。
「見守る」とは、“傍観する”ことではありません
よく「あなたはあなた、私は私」といった言葉が5次元では使われますが、
それは「無関心」ではありません。
むしろ、相手を信じ切るという、ものすごく深い愛の形です。
- 相手の課題を奪わないこと
- 自分の感情に誠実でいること
- 必要なときには、エネルギーでサポートすること
この3つを意識するだけでも、あなたはすでに「非ジャッジ」の愛を実践しています。
まとめ
まとめ①:「善悪がない」とは、“愛の判断基準”に変わるということ
5次元意識では、「正しいか間違っているか」ではなく、
「その選択は、今の自分の波動に合っているか?」を基準にします。
他人の行動が合わなければ、ただ距離を置く。
でも、裁かない。ただし、感情はちゃんと感じる。
この繊細な感覚こそ、5次元のバランスです。
まとめ②:あなたが涙を流したのは、進化のサイン
心が痛んだのは、あなたが優しすぎるからです。
そのやさしさが、いま次の次元へと向かおうとしています。
その痛みを否定せずに、自分自身を守る選択をしてください。
それは冷たさではなく、本当の意味でのやさしさです。
そのやさしさで、あなたはこれからも、
たしかに誰かの「光」になっていきます。