スピリチュアルに対して、なぜかゾワッとする感覚。信じていないのに、妙に近づきたくないという気持ち。そう感じるのは、あなただけではありません。この記事では、その「気持ち悪さ」の裏側にある、あなた自身の深い感性と向き合います。
スピリチュアルが怖いと感じるのは“あなただけ”じゃない
スピリチュアルを語る人に出会うと、急に空気が変わったように感じる。
言っていることが抽象的で、どこか怪しい。
だけど、その人はごく普通に生活しているし、他人に危害を加えるわけでもない。
…なのに、どうしてこんなに怖く感じるのでしょうか?
実はこの違和感、あなたがごく自然な感覚を持っている証拠なのです。
現代は情報があふれすぎていて、「見えないもの」に触れること自体がストレスになりやすい時代です。
しかもスピリチュアルは、目に見えない世界を扱う分野。だからこそ、
“何かおかしなことが起きるかもしれない”という防衛本能が働いてしまうのです。
スピリチュアルが“気持ち悪い”と感じる本当の理由
では、具体的に何がそんなに「気味悪さ」を感じさせるのでしょうか?
大きく分けて、以下の3つの要因が考えられます。
- 得体が知れない(言葉の意味が曖昧、内容が非論理的)
- 過去の宗教的トラウマと重なる(信じ込むことで自由を失う恐怖)
- “信じている人たち”がときどきあまりに真剣すぎて怖い
とくに最後の要素は大きいです。
どんなに理屈っぽい人でも、“自分にはない熱量”を目の前にすると本能的に距離をとってしまうものです。
それが例えスピリチュアルでなくても、思想・活動・主張などに共通しています。
見えないものを「感じない人」が悪いわけじゃない
ここで、あなたの中にある疑問があるかもしれません。
「見えないものを信じられない私は、心が閉じているのでしょうか?」
いいえ、そんなことはありません。
むしろあなたが自分自身の感性に正直でいようとしているからこそ、
わけのわからない世界に対して慎重になっているのです。
スピリチュアルは、しばしば“光”や“愛”といった言葉で語られますが、
だからといってすべてが安全とは限りません。
むしろ、そこに現実逃避や依存を抱える人が混じってくることもあるからこそ、
怖さを感じるあなたは、ちゃんとした危機感を持っている人なのです。
スピリチュアルを怖がる人が、本当は感じている“自分の変化への恐れ”
ここで、ひとつ大きな視点の転換をしてみましょう。
あなたがスピリチュアルを怖がる理由は、
もしかすると「スピリチュアルそのもの」ではなく、
それに触れることで起こる自分自身の“内的変化”が怖いのではないでしょうか。
たとえば、
- 今まで信じていた「常識」が揺らぐかもしれない
- 自分の中に「説明できない何か」があると気づいてしまう
- 見ないふりをしてきた“感情”に触れることになる
こうした変化は、どれもとても大切なものです。
でも、とても怖いものでもあるのです。
だからこそ、無意識はこうささやくのです。
「気持ち悪いからやめておこう」と。
実はあなたの“嫌悪感”こそ、繊細で誠実な心のセンサー
ここで、もう一度見直してみてください。
あなたの「気持ち悪い」「怖い」という感情は、
何かから逃げているのではなく、
“自分を守ってきた大切な感覚”なのではないか?と。
あなたは、自分の中の繊細さを大事にしてきたからこそ、
表層的なスピリチュアルや、無責任な言葉に反応してしまうのです。
それは弱さではありません。
むしろ、それは本物を見抜こうとする力です。
“信じない”という選択も、立派なスピリチュアルです
スピリチュアルという言葉は、「信じる」「信じない」という二元論では語れないものです。
本当のスピリチュアルとは、「自分の内面に正直に生きること」。
だとすれば、あなたの「信じない」という姿勢も、
まっすぐなスピリチュアルな在り方だと私は思います。
大切なのは、自分の感覚を閉じないこと。
信じなくてもいい。無理に受け入れなくていい。
でも、怖いと思ったその感覚に、もう少しだけ耳をすませてみてください。
まとめ
あなたがスピリチュアルに対して「気持ち悪い」「怖い」と感じるのは、
見えないものへの拒絶ではなく、むしろ深い部分で感じ取ってしまう力のあらわれかもしれません。
嫌悪感は、間違った感情ではありません。
それは、「この世界の何かに、まだ自分は心を開きたくない」と教えてくれる大切なセンサーです。
信じるか信じないか、どちらでもいい。
でも、「わからないけど気になる」——
その感覚があるなら、どうか自分を責めずに、静かに見つめ続けてください。
そこには、信じる/信じないを超えた、あなただけの“深さ”がきっとあります。