スピリチュアル

スピリチュアルにハマりすぎた彼は、ある日“現実”を失った

白天 烈光(はくてんれっこう)

スピリチュアルブロガー。宇宙意識の探究者。世界トップクラスのスピリチュアルリーダーから学んだ自己超越のメソッドを発信。次元を超えた叡智を届け、魂の覚醒をサポートする。

「スピリチュアルって大事だと思うけど、あの人…ちょっと変わっちゃったよね」
そんなふうに感じたことはありませんか?現実からふわっと浮かんで、地に足がついていないような人。この記事は、スピリチュアルを信じるあなたが**「本質を見失わずに生きる」**ために書いています。もしかしたら、あなたのすぐそばにも“彼”がいるかもしれません。

スピリチュアルの「光」に惹かれた彼は、いつしか地面を見なくなった

最初は、彼も普通の人でした。
仕事に悩み、人間関係に傷つき、「もっと深い何か」を求めてスピリチュアルの世界に入ったのです。

最初のうちは、とてもよかった。
瞑想を始めたり、ヨガを習ったり、優しい言葉に触れて、彼の表情はやわらかくなっていきました。

でも、あるときから少しずつ変わっていったのです。

  • 「現実はすべて幻想だ」と言い始めた
  • 「この世は3次元、私は5次元に移行した」と言って仕事を辞めた
  • 「お金に執着するのは低い波動だ」と言って、借金を気にしなくなった

彼は「目覚めた」と言っていたけれど、目の前の生活はどんどん壊れていきました。

ラマナ・マハルシが示した「内なる静けさ」は、逃避ではなかった

ここで紹介したいのが、ラマナ・マハルシという南インドの聖者です。
彼は、17歳で「自分が死ぬ」という体験をしたことをきっかけに、思考を超えた自己認識に目覚めました。

彼が語った言葉に、こんなものがあります。

「“私は誰か”という問いを、思考でなく沈黙の中で問うことが、真の目覚めへとつながる。」

ここで大切なのは、「思考を止める」のではなく、沈黙に気づくことなのです。

スピリチュアルにハマった彼は、“悟った自分”という新しいイメージに執着していました。
でも、ラマナ・マハルシは真逆を生きていました。彼の静けさは、日々の現実に根ざしていたのです。

そして彼は“悟りの沼”に沈んでいった

ある日、彼が言いました。

「もう現実には戻れない。目覚めた人間が、会社で働くなんて無理だよ。」

彼は家族とも距離を取り、現実的な話には耳を塞ぐようになりました。
SNSには「波動」「次元上昇」「宇宙意識」といった言葉ばかりが並び、日々の暮らしの姿が見えなくなっていったのです。

スピリチュアルは、彼の逃げ場になっていました。

それでも本人は「覚醒している」と信じている。
でもその目は、以前よりもどこか空虚で、焦点が合っていないように見えました。

あなたも、そんな人を見たことはありませんか?
それとも、心のどこかで「自分もそうなってしまうのでは…」と不安を感じたことはありませんか?

クリシュナムルティが教えてくれた「気づき」とは、静かな革命だった

クリシュナムルティは20世紀を代表する精神哲学者のひとりで、インド出身ですが、その活動は世界的でした。
彼は、どんな教義にも組織にも属さず、「真理は外側にはなく、内側の気づきの中にある」と語った人です。

彼の有名な言葉があります。

「気づきとは選択のない観察である。観察者さえも存在しない。」

この言葉の意味、あなたはどう感じますか?

スピリチュアルにハマった彼は、「高い波動」「目覚めた意識」といったものを選び続けていました。
でも、クリシュナムルティが言う「気づき」は、そうではありません。

“良い”とか“悪い”とかいう判断を超えた、そのままの現実に気づく力。

それが本当の気づきであり、逃避でも幻想でもない、現実の中に立ち戻るための灯りなのです。

あなたは今、どこに立っているでしょうか?

もしかすると、あなたの中にも「ちょっと現実から浮いている自分」がいるかもしれません。

  • 「何かを引き寄せれば、人生は自然にうまくいく」と思い込んでいませんか?
  • 「自分は特別で、目覚めた存在だ」と思いたくなっていませんか?

それが完全に悪いことだとは言いません。
でも、そこに居続けた先には、誰もいない部屋と空っぽの通帳と、誰ともつながれない孤独が待っているかもしれません。

まとめ

スピリチュアルに救われた瞬間があるなら、それはとても尊いことです。
でも、そこに執着しすぎて「現実を否定する宗教」のようになってしまったら、本末転倒です。

本当のスピリチュアルは、幻想ではなく、現実をしっかりと生きるための深い目覚めです。

地に足をつけた“静かな気づき”の中でこそ、
あなたの内側にあるほんとうの力が、そっと目を覚ますのです。