なぜこんなにも不安になるのか。なぜあのとき、あんな行動を取ってしまったのか。
それを「悪魔のせい」にしたくなる瞬間、ありますよね。だけど本当は、あなたも気づいているはずです。
外の存在ではなく、内側の傷や欲があなたを突き動かしていたことに。
今回は、悪魔という存在を通して「自分自身」とどう向き合えばいいかを見ていきます。
悪魔は存在する…でも“見え方”が違うだけ
まず結論から言えば、悪魔は存在します。
ですがそれは、映画に出てくるような角の生えた赤い怪物ではありません。
スピリチュアル界で多く語られているのは、悪魔とは「断絶した意識」のこと。
宇宙や他者とつながっているという感覚を失い、「奪うことでしか生きられない」と信じてしまった存在です。
心理学者カール・ユングもこう語っています。
「あなたの影と向き合うことなくして、魂の光にたどり着くことはない」
これはまさに、「悪魔とどう向き合うか」があなたの人生において重要だという意味です。
悪魔とは、断絶、恐れ、孤独、力への執着という“エネルギーのかたまり”であり、誰の中にも存在しうるものです。
所有欲と支配欲が、悪魔と契約する“入口”になる
では、なぜ人は悪魔的な存在とつながってしまうのでしょうか。
それは、ある「強すぎる願望」や「満たされない欲求」が起点になります。
たとえば——
- 「もっとお金が欲しい」
- 「誰かに勝ちたい」「支配したい」
- 「この家を絶対に自分のものにしたい」
このような強い想念が、思念体(ソートフォーム)となって世界に放たれ、
それに共鳴する存在とつながってしまうことがあるのです。
伝説的なスピリチュアルリーダー、ティール・スワンはこう語っています。
「悪魔とは、自分の内側の切実な願いが、歪んだかたちで顕在化したもの」
実際、古代シュメール時代の「バアル」という悪魔の話も、
王権への執着や土地の所有欲が思念体となり、人の魂と契約して力を得る構造になっていました。
そして問題なのは、この“契約”は無意識で交わされてしまうことが多いという点です。
「悪魔が憑いた」のではなく「あなたが呼んだ」
ここで問い直してみましょう。
- 「どうしてあの人を傷つけてしまったのか」
- 「なぜ、自分でも怖くなるほど怒りを感じたのか」
- 「どうして、人を操作しようとしてしまったのか」
その原因を「悪魔のせい」とするのは簡単です。
けれど本当は、自分の中にあった“叶えたいけど叶えられない欲求”が、呼び寄せたのです。
この視点は、少し厳しく感じるかもしれません。
でも、ここに本当の癒しと変容のチャンスがあります。
あなたが“対話”を選んだとき、悪魔は力を失う
では、どうすればその契約を終わらせることができるのでしょうか?
答えはとてもシンプルです。
自分自身の「満たされなかった感情」に向き合い、正直に対話すること。
たとえば——
- 「誰にも認められなかった寂しさ」
- 「愛されたくて仕方なかった心の渇き」
- 「本当は怖くてずっと怯えていた幼い自分」
それらを見つけ、抱きしめ、声をかけてあげること。
悪魔は追い払うものではなく、統合すべき“影の一部”なのです。
「悪魔払い」ではなく、「自己理解」こそが浄化になる
よくテレビや映画で描かれるような「悪魔払い」の儀式。
それを見て、「本当にあんなものがいるのだろうか?」と感じるのは自然なことです。
でも、あなたが“変わろう”としない限り、いくら追い払っても意味はありません。
なぜなら——
- 同じパターンを繰り返す
- 別の悪魔的エネルギーがまたやってくる
- 外のせいにする思考が、自分の力を奪ってしまう
こうしてあなたの人生は、いつまでも“誰かや何かのせい”で動かされるものになってしまいます。
それが続いた先にあるのは——
「自分の人生を生きていない感覚」
「ずっと足りない、ずっと渇いている内面」
そんな空虚さが、静かにあなたを壊していく未来です。
まとめ
悪魔は、あなたの外にある“恐ろしい存在”ではありません。
それは、あなた自身の内側で「まだ光を当てられていない感情」が、
“別の姿”で現れているだけかもしれません。
だからこそ、「悪魔をどうするか」ではなく「自分とどう向き合うか」が鍵です。
本気で自分を見つめ始めたとき、悪魔はただの“過去の幻影”になります。
そしてあなたは、自分の人生の主導権を静かに、でも確実に取り戻すのです。
この記事が、あなたが“力を取り戻す”きっかけになれば嬉しく思います。
あなたはもう、外の何かに振り回される存在ではありません。
今日から、自分との対話を始めてみてください。